交趾 初代 赤澤華峯

交趾 初代 赤澤華峯(赤澤元次郎 1848-1916)

 

陶歴

 

京都 妙心寺 行者(あんじゃ)赤澤家は口伝では開山よりと伝えられ

赤澤能傳 (不傳能傳法橋大徳)(-1593) の墓石が妙心寺に現存する最古と妙心寺史にあり

 

1848 嘉永元年 元次郎は父赤澤常朴(妙心寺行者 淳堂常朴法橋大徳 (1817-1881))の二男として生まれる

1853 嘉永6年 元次郎5歳の時 母の峰(峯:岑女)が亡くなる

1872 明治5年ごろ 廃仏毀釈の影響で 妙心寺の行者の制度がなくなり 父常朴と長兄の善積が行者のお役御免となる

1877 明治10年 赤澤華峯 京都五条坂にて南画を教え陶業を営む

1881 明治14年 幼い長男と父常朴が亡くなる(長兄の善積が家督を相続する)

1897 明治30年 三男 修三 生まれる(交趾 二代 赤澤露石)

1898 長兄 善積の死去に伴い元次郎が家督を相続する

1916 大正5年4月20日 永眠